locom2 diary

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欧州における新たな鉄のカーテンは、前回の鉄のカーテンのように、西側諸国の対ロシア敵視が生み出したものである⚡️フィニアン・カニンガム

New Iron Curtain in Europe, Like Last One, is a Creation of Western Hostility Towards Russia — Strategic Culture

フィニアン・カニンガム著:21/09/2023

Image from Gyazo

冷戦時代のヨーロッパと世界の境界線が、冷戦時代を作り上げた帝国主義国によって再び復活したのだ。

米国主導のNATO軍事同盟の事実上のクローンと化した欧州連合EU)は、欧州大陸に新たな鉄のカーテンを築こうとしている。

ヨーロッパ大陸の新たな分断において、ロシアとロシア市民は受け入れがたく、悪者扱いされ、破門されている。EUは、ロシア市民が無実の旅行者としてEU諸国に入国することを禁止することを提案している。ロシアナンバーの車は、持ち主から没収される恐れがあるため、国境を越えることができない。

ラトビアのようなEU諸国は、人口の4分の1がロシア語を話す民族であるにもかかわらず、公共の場でロシア語を話すことを禁止しようとしている。ロシアの文化人は、コンサートやバレエ、文学のイベントに参加すると中傷される。

ロシアのニュースメディアはブラックアウトされ、ウクライナの戦争に対する疑問や別の視点は一切認められていない。この紛争の発端となった歴史的背景や、NATOの二枚舌による拡張は、公的な言論から抹殺されている。簡単に言えば、西側によれば、ロシアは邪悪な侵略者であり、その指導者ウラジーミル・プーチンヒトラーのような暴君であり、国民全体が(詐欺師アレクセイ・ナヴァルニーのような西側公認の「反体制派」人物は別として)除け者なのだ。

排除措置はEUによって一方的に実施されている。新たな鉄のカーテンとしか言いようのないものを設定しているのはEUなのだ。第二次世界大戦後に鉄のカーテンを作ったのは、ロシア連邦の前身であるソ連であるというのが西側諸国の一般的な見方であることを考えると、これはいささか皮肉に思えるかもしれない。

第二次世界大戦後、ソ連との関係を突然凍結させ、核による相互確証破壊という執拗な脅威を伴う数十年にわたる冷戦を引き起こしたのは、実はアメリカとヨーロッパの同盟国だった。

鉄のカーテン」という言葉は、戦時中のイギリスの指導者ウィンストン・チャーチルが1946年3月にアメリカを訪問した際に行った有名な(正確には悪名高い)演説で初めて欧米の人々に紹介された。チャーチルは、ヨーロッパ全土に鉄のカーテンが垂れ下がることを暗く警告し、不吉な大陸分断の原因をソ連に求めた。

チャーチルがこのような美辞麗句を並べたのは、米英ソの「同盟国」によってナチス・ドイツが敗北した1年も後のことだった。

チャーチルによるソ連の悪魔化は、西側の多くの市民がナチス帝国主義の主な犠牲者として共感し、さらにベルリンで第三帝国を最終的に敗北させた同盟国の重要な軍事力として賞賛した、かつての同盟国に対する前例のない挑発だった。

ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、チャーチルの演説を「温情主義」の芝居だと非難した。イギリスとアメリカはモスクワに対し、第二次世界大戦が事実上ソ連に対して継続されることを通告したのである。少し考えてみてほしい。事実上、アメリカ、イギリス、そして結成間もないNATO同盟(1949年設立)は、自らをナチス帝国主義の対ソ敵対関係の後継者として位置づけていたのだ。ロシアから見れば、この悪意は計り知れない。

チャーチルの裏切りだけが、現代におけるソ連への悪意のシグナルだったわけではない。1945年8月、敗色濃厚となった日本に2発の原爆が投下されたことも、ソ連にとっては、戦後の世界分割と来るべき「封じ込め」政策に関するアメリカによる潜在的な恐怖の脅威と映った。

その他の脅威的なシグナルは、米英によるナチスの元将校、スパイ、科学者の徴用であった。西側諸国が慎重に合意したように、ナチスの戦犯をソ連に引き渡す代わりに、これらの犯罪者はヨーロッパ全土に張り巡らされたネズミ捕り網を通じて避難し、新たな人生を送ることになった。ナチス親衛隊に協力した最も凶悪なウクライナファシストの多く(ステパン・バンデラ、ミコラ・レベドなど)もまた、米英によってリクルートされた。何人かは、破壊工作や暗殺を目的としてソ連の戦線後方に配備された。

ドンバス地方でロシア民族を殺害している今日のウクライナのネオナチは、第二次世界大戦ナチス協力者の誇り高き後継者であると自称している。米国とNATOキエフナチス政権を武器化し、アゾフ・ナチス大隊などを訓練していることは、戦後初期に米英がソ連に対して秘密裏に行ったリクルートと完全に一致している。

しかし、しかし、ソ連ワルシャワ条約機構連合国はベルリンの壁を築き、ヨーロッパ全土に有刺鉄線の国境線を張った。

まあ、たしかにそれも事実だ。しかし、これだけは覚えておいてほしい。ソ連帝国主義的なナチスの巨大軍隊に侵略され、2700万人もの国民が殺されたのだ。ナチスの戦争マシーンが、1920年代から30年代にかけて、西側の資本投資によって、西側の帝国主義秩序を脅かす存在として認識されていたソ連を破壊する目的で実現されたことを示す証拠はたくさんある。

第二次世界大戦の灰燼がまだくすぶる中、西側諸国がソ連に対して見せたあからさまな裏切りや、西側諸国が新たに展開しようとしていた前代未聞の存亡の危機(原爆投下、ナチスの勧誘)を考えれば、モスクワとそのワルシャワ同盟のパートナー諸国が積極的な防衛モードを採用したことは驚くにはあたらない。結局のところ、秘密裏にとはいえ、攻撃を受けていたのである。

客観的事実から、冷戦とそれに続く1940年代後半に誕生したヨーロッパ全域の鉄のカーテン分断を最初に扇動したのは西側諸国だったと結論づけることができる。基本的な理由は、今日にも通じることだが、ソ連が西側の帝国主義国家と共存する別の存在として容認できなかったからである。後者にとっては、ゼロサムの世界に打ち勝つことが絶対不可欠なのだ。多極化はありえず、西側による一極支配しかありえない。それが帝国主義権力の定義上の必然なのだ。

また、チャーチルが「鉄のカーテン」という言葉を発明したわけではないことにも留意すべきである。この言葉は1945年2月、ヨーゼフ・ゲッペルスナチス・ドイツの敗北はヨーロッパに「鉄のカーテン」がかかって大惨事になると警告したことから生まれた。

米国とヨーロッパのNATOの属国は、見栄を張った美徳と「自由世界の防衛」という自分たちの物語に異論を唱えることを許さない。ロシアは、それ以前のソ連と同様、属国の地位を認めないがゆえに、西側帝国主義秩序にとっての脅威である。そのためには、モスクワを何としても排除しなければならない。

ヨーロッパと世界を冷戦時代に区分けしていたものが、それを生み出した帝国主義勢力によって再び復活したのだ。