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ワルシャワ条約-プロパガンダと現実⚡️ヘルムホルツ・スミス

THE WARSAW PACT – PROPAGANDA AND REALITY (BY HELMHOLTZ SMITH)

ヘルムホルツ・スミス著:30/12/2023

Image from Gyazo https://www.telegraph.co.uk/news/2021/10/01/want-people-know-nazi-war-criminals-lived-uk/

西側諸国ではワルシャワ条約と呼ばれていたこの条約は、1955年にソ連とその近隣諸国によって締結された。西側諸国はこれを、ソ連の拡張主義に服従させられた犠牲国による見せかけの条約と表現し、ソ連はこれを社会主義者の自発的な友愛連合と表現した。しかし、それらはプロパガンダであり、現実とはほとんど関係がない。

社会主義者の兄弟」というのは忘れて、戦後のソ連の視点から見てみよう。ドイツ - ソ連を攻撃した。チェコスロバキア - チェコの半分は1939年にナチスドイツに吸収され、スロバキアの半分はハンガリールーマニアブルガリアと同様にドイツの同盟国だった。(アルバニアは、反スターリンフルシチョフ時代には独立しすぎて反抗的であり、1968年に脱退したため、おそらくモスクワは安堵しただろう)。

西側諸国はポーランドを戦争の偉大な犠牲者の一人と見ているが、モスクワの見方は違う。1917年にロシアが崩壊すると、ヴェルサイユ宮殿で再興されたポーランドは侵攻し、現在のウクライナベラルーシに深く入り込んだ。赤軍は反発し、1920年夏までにポーランド軍を押し出し、ワルシャワの近くまで進軍したが、そこで阻止された。ポーランドヒトラーのドイツと不可侵条約を結んだ最初の国だった。ポーランドは1938年にチェコスロバキアの一部を占領した。そして、1939年の英仏ソ会談が頓挫した際、ポーランドソビエトがドイツに接近するための通行権を拒否した。

ポーランドを経由することに合意した英仏ソ同盟があれば、ヒトラーの計算が変わったかもしれないと思わないか?

従来のアメリカのストーリーにはこの点が欠落しており、ポーランドヒトラースターリンによる攻撃の無実の犠牲者として紹介されている。戦後、モスクワはポーランドを、1) かつての、そして将来もありうる敵、2) ヒトラーの協力者、3) ヒトラーを阻止する唯一の可能性を阻む障害、と見なしていた。被害者?モスクワの立場からすれば、そうではなく、むしろ信頼できない隣国であり、しっかりとした掌握が必要だったのだ。

これらのことを考慮した上で、モスクワは戦後、支配下に置き、後にワルシャワ条約機構を結成したこれらの国々をどう見ているのだろうか。(東)ドイツ - 敵国。チェコスロバキア - 敵国(チェコには悪いが、この中で唯一罪のない国だ)、ハンガリー - 敵国、ルーマニア - 敵国、ブルガリア - 敵国。イズメイの有名な言葉をモスクワは「われわれは中に、NATOは外に、彼らは下に」と言うだろう。

彼らは彼らを社会主義者の兄弟と呼んだが、その本当の意味は、かつての敵が今や我々の厳重な管理下にあるということだった。

彼らは罪のない "俘虜国 "だったという西側の言い分については、そう見なすにはかなりの修正が必要だった。しかし、現実は調整され、彼らはソ連帝国主義の罪のない犠牲者として再認識された。

それが今日と何の関係があるのか?まあ、私たちは時々、どれだけ多くのことが埋もれていたかを思い起こさせられる。たとえば、第二次世界大戦で「ウクライナの独立のためにロシアと戦った」人に対するスタンディングオベーションのように。ポーランド人とも戦ったそうだ。そして、彼の出身地にはもっと多くの人がいる。カナダだけじゃない。

おっと。覚えておくんじゃなかった。