locom2 diary

少数意見こそが真実を伝えている。個性派揃いの海外ブロガーたちの記事を紹介。

オッペンハイマー、広島、ハーターマンス 1/2 ⚡️ スティーブン・ブライエン

Oppenheimer, Hiroshima and Houtermans - by Stephen Bryen

ティーブン・ブライエン著:25/07/2023

映画『オッペンハイマー』がアメリカの劇場で公開されるにあたり、原爆製造競争とその最初の標的として広島が選ばれたことについて、あらためて考えてみることは重要である。 広島は、それまで一度も実験されたことのない11カラットの原子爆弾で攻撃された。 しかし、広島を破壊することは、日本の原爆開発を阻止し、日本を降伏させるか、あるいは日本が降伏しなかった場合、計画されていた米軍と連合軍の大規模な対日水陸両用攻撃を守るために極めて重要だった。

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私が強調したいのは、なぜ広島が連合軍の日本本土侵攻を可能にする重要かつ最優先の目標であったのかについての私自身の分析である。それは、(バランスよく考えれば)ナンセンスなアメリカの説明とは大きく異なる。もし広島がアメリカ政府によって選ばれた民間人の標的であったなら、攻撃を実行したことは戦争犯罪である。広島が戦略的、軍事的標的であったなら、広島への攻撃は正当化される。 戦中、戦後、そして今日に至るまで、アメリカ政府がドイツと日本の原爆の脅威に関する本当の真実を隠蔽していたことに注目することは重要である。実際、降伏後の日本占領を指揮したダグラス・マッカーサー元帥は、日本の原爆計画や中国における生物化学兵器計画を組織的に隠蔽していた。 今日でも、なぜ広島が選ばれたのか? 実際に日本の都市に原爆を投下する前に、なぜアメリカは原爆のデモンストレーションを行わなかったのか。 広島で原爆が投下された後、理化学研究所仁科芳雄を筆頭に、日本のトップ原子科学者たちが広島に飛んだ。日本は航空機が絶望的に不足していたが、仁科と彼の科学者チームは最優先された。 日本には2つの原爆開発計画があった。ひとつは理研を中心とする陸軍の庇護下にあった「二号」計画、もうひとつは荒勝文作教授が率いた海軍の「F号」計画である。戦争末期、海軍の計画はかなり進んでいた。 原爆は韓国で組み立てられることになっていた。 韓国は日本の主力兵器廠となり、戦争に必要な物資を供給していた。

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荒勝と京都帝国大学加速器

日本のトップ科学者たちは、広島を襲った爆弾が原子爆弾であることをすぐに突き止めた。 彼らはガイガーカウンターで残留放射能を測定した。 一部建っていた建物の側面の爆風パターンを評価することで、原爆が地上に投下され、標的を最大限にカバーしたことを理解した。 広島はリトルボーイと呼ばれるウラン爆弾で破壊された。 濃縮ウラン(U-235)が十分でなかったため、実験はできなかった。 しかし、ウラン爆弾は数日後に長崎に投下されたプルトニウム爆弾(通称ファットマン)よりもはるかに複雑ではなく、成功するという確信があった。

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リトルボーイ爆弾、陸軍空軍への引き渡し準備完了

第二次世界大戦の大きな秘密のひとつは、ドイツも日本も原子兵器の開発をかなり進めていたということだ。政治的な理由から、アメリカは原爆開発がヨーロッパやアジアで戦う兵士にとってどれほど危険なものであるかを、アメリカ国民に知られたくなかった。もしドイツ軍がバルジの戦いで原爆を爆発させていたら、米英軍は全滅していただろう。 日本が米艦隊に原爆を放っていたら、米軍の侵攻部隊は壊滅していただろう。 日本は原爆を搭載した潜水艦から航空機を発進させる計画さえ持っていた。 日本はサンフランシスコを破壊し、米国を日本に有利な和平交渉に追い込むつもりだった。日本の予備計画は、同じ航空機から発射される生物兵器でサンフランシスコを攻撃することだった。 2005年にドイツで出版された非常に物議を醸す本(ライナー・カールシュ著『ヒトラーの爆弾』)は、ナチス政権がドイツ南部のオールドルフの軍事実験場で粗末な核爆弾を爆発させたと主張している。 アメリカはまた、ドイツがニューヨークやワシントンDCを攻撃できる長距離爆撃機の開発に取り組んでいたことも知っていた。 ドイツではアメリカーボンバーと呼ばれ、ドイツの航空宇宙会社(メッサーシュミット、ユンカース、フォッケウルフ、ハインケル、ホルテン・ブラザーズ)によって4種類の試作機が作られたが、量産に至ったものはなかった。 戦時中、アメリカの都市はナチスの空襲を恐れて照明を消したり、暗幕を使用したりした。 戦後、ドイツは原爆についてそれほど進んでおらず、日本はさらに遅れていたという俗説が流布した。 ボリス・パシュを団長とする米英アルソス使節団は、米英の科学者をヨーロッパと日本に派遣したが、両国とも原爆の研究はしていたものの、原爆を持つまでには至っていなかったと報告している。

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ボリス・T・パッチ(ボリス・フェドロヴィチ・パシコフスキー)