locom2 diary

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ブルナ・フラスコッラ⚡️クロムウェルの亡霊、ロシアに対して

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ブルナ・フラスコッラ著:18/04/2025

Image from Gyazo

ロシアは西側諸国に対し、「常識を持った人々が自由で普通でいられる場所がこの地球上には存在する」ということを示している。

反ロシアのプロパガンダは、プーチンヒトラーになぞらえ、彼を止めなければ世界を征服してしまうだろうと主張している。このプロパガンダには新しさはまったくない。理由は二つある。第一に、NATOの指導者たちはいつも、その時々の悪役をヒトラーに例えること。第二に、反ロシアの偏執症は、過去にもっと馬鹿げた形で存在してきたからだ。スペインの歴史家マリア・エルビラ・ロカ・バレアは著書『インペリオフォビアと黒い伝説』の中で、19世紀半ば、オーストラリアの新聞がロシア軍がまずメルボルンを攻めるのかシドニーを攻めるのかを真剣に議論していたと記している。カヤ・カラスがどんなに頭がおかしくても、プーチンがカンガルーを支配する姿までは想像できないだろう。

だが、プーチンが西側列強から受けている扱いと、かつてヒトラーが受けていた扱いを比較してみると、大きな違いが見える。チャーチルを除けば、西側の指導者たちは、ヒトラーが軍事力で止められるまで拡張戦争を続けるだろうとは言わなかった。ヒトラー自身が『我が闘争』という本の中で、東方に生存圏を獲得する意思を明確に記していたにも関わらずだ。恐らく、当時の彼らにとってヒトラーは「ロシアの問題」であり、ロシアなんてどうでもよかったのだろう。リベラル派は、チェンバレンの怠慢が後世への教訓となり、それ以降は新たなヒトラーの登場を警戒するようになったのだと反論するかもしれない。

しかし、もっとよく似た前例がある。オリバー・クロムウェルによるスペインへの敵視だ。カトリックの権化として、絶えず拡大を目論み、交渉の余地などない相手。1656年、イスパニョーラ島を奪おうとして失敗し、代わりにジャマイカを奪取した直後に、彼が議会で行った演説の一節を見てみよう。

「お前たちの偉大なる敵はスペイン人だ。やつらは生まれつきの敵である。やつらは神の側にあるものすべてに対して、生まれつき敵意を持っている。[…] 長期議会も誠実で名誉ある平和を求めたが、達成されなかった。名誉と誠実をもってしては達成されなかったのだ。私は言う、それは名誉と誠実をもってしては達成されなかったのだ。[…] フランス人も、ドイツのプロテスタントも、みな一致してこう言っている。スペインの野望はキリスト教世界全体の支配にあり、それ以上かもしれぬ」と。

これこそ、今日のウクライナ戦争で使われているシナリオだ。プーチンは悪の権化(彼らは無神論者なので神については触れないが)、プーチンとは交渉不可能、放っておけばプーチンはフランスすらも征服するだろう、と。

さらに、ロシアの保守主義が西側にヒステリーを引き起こしていると指摘する人もいる。私はここにもクロムウェルとの類似を見る。クロムウェルの恐れは、大陸最古の宗教を持つ大国が、しばしばその信者でもある自国民に再び権威を及ぼすのではないか、というものだった。イングランドではプロテスタント信仰が上から押し付けられた。まずは英国王によってカトリックが弾圧され、次いでクロムウェルアイルランド人も含め、カトリックを残虐に征服し、さらに国王を支持する英国国教会派も弾圧した。カトリックと英国国教徒はイギリス国内では人口の多数派だった。それにもかかわらず、彼は少数派を保護することで自らの政権を正当化した。ギゾーの言葉を借りれば、

「彼は実際に、長らく迫害されてきた彼らに互いの慈愛と支え合いを説きつつ、長老派、独立派、再洗礼派、終末論者、その他あらゆるセクト同士の保護者となった」(『イングランド共和国』第2巻、152頁)

さらに彼はユダヤ人のイングランド再定住も許可し、他の宗派と同様の信仰の自由を保障した。

つまりクロムウェルは、今日のリベラルエリートと同様に、少数派のために統治し、多数派を抑圧する存在だった。今日のリベラルエリートは、ゲイ・プライドを文明度の指標とし(イスラエルには大規模なパレードがあり、ガザにはない)、一部の国では「女性にペニスはない」と信じない者を投獄することもできる。しかも自分たちは「親切で民主的だ」と信じて疑わない。なぜなら、保守主義は悪魔の仕業であり、無神論の時代ではそれはヒトラーの仕業だからだ。

プーチンのロシアが不気味なのは、単なる外的な理由、経済や地政学の問題だけではない。内的な理由もある。ロシアは西側の国民に、「常識的な人々が自由で普通でいられる場所」がこの地球上に存在することを示してしまっている。それは常に内なる反乱への呼びかけとなり、いかなる手段を用いても封じ込めねばならないのである。