locom2 diary

少数意見こそが真実を伝えている。個性派揃いの海外ブロガーたちの記事を紹介。

イスラエルには自らを守る権利がある」は「イスラエルには虐殺を行う権利がある」を意味していたことが判明⚡️ケイトリン・ジョンストン

Turns Out "Israel Has A Right To Defend Itself" Meant "Israel Has A Right To Commit Genocide"

ケイトリン・ジョンストン著:15/01/2024

Image from Gyazo

Axiosは、「ガザ戦争が100日を迎え、バイデンはビビへの忍耐を "使い果たした"」と題した、複数の匿名のアメリカ政府関係者を引用した馬鹿げた記事を掲載した。バイデン政権は、自分たちの部下とガザでの大量虐殺の間に隔たりを置こうとして、マスコミにリークし続けている。バイデンには、初日からこの大虐殺を終わらせる能力があった。バイデンが望んだから虐殺は続いている。彼はこれを所有している。

ネタニヤフ首相は、赤ちゃんやジャーナリスト、病院や住宅に対するイスラエルの戦争から100日を記念して、こう演説した。「ハーグも、悪の枢軸も、他の誰も、私たちを止めることはできない」。

もし私が歴史の正しい側に立っていたとしたら、ハーグでさえ、彼らが殺したいと思うすべての人を殺すことを止めることはできない、とは言わないだろう。

イスラエルには自衛権がある」というのは、実は「イスラエルには大量虐殺をする権利があり、他の国にはそれを止める権利はない」という意味だったことがわかった。

イスラエル軍無人狙撃機がガザで人々を撃ち殺したという報道を目にしたが、ガザは長い間、軍産複合体にとって生きた実験場であったということを、この際知っておいた方がいいだろう。ウクライナやアフリカで起きているように、ガザで人体実験が行われている新型兵器のデータは確実に収集されており、そのデータは戦争マシーンと軍需産業の利益のために使われる。

ハマスや10月7日に触れずにイスラエルの犯罪性を批判すると、イスラエル擁護派が怒鳴るのはとても間抜けだ。文字通り、誰もがハマスと10月7日のことを知っている。文字通り誰もが、ハマスイスラエル国家への敵意からイスラエル人を攻撃したことを認めている。ハマスとその最も熱狂的な支持者を含め、誰もがこの事実を完全に認めている。

一方、イスラエルとその支持者たちは、10月7日以来ガザで起きている現実を断固として否定してきた。西側諸国の報道機関は、イスラエルに有利な偏向報道を乱発し、現在進行中のガザでの大虐殺に関する情けない報道で、ジャーナリズムの失態を山ほど犯してきた。欧米人の大半は、イスラエルが10月7日以前にパレスチナ人をどれほど虐待し、殺害していたかをまだ知らない。

したがって、認識を広め、プロパガンダや歪曲に対抗するためには、こうしたことについて語ることが必要であり、その際にハマスや10月7日について言及し続ける必要はない。文字どおり、誰もが10月7日の攻撃を認めている。一方、国民の大部分は、ナクバ以降のイスラエルによるすべての犯罪の発生について何も知らないか、積極的に嘘をついている。この2つのうち、どちらか一方だけをもっと強調する必要がある。

イスラエルハマスの攻撃を非難するよう皆に要求するのは、チンピラの集団が人の顔を何度も何度も殴り、手を傷つけたことを非難するよう皆に要求するようなものだ。ハマスの攻撃は、イスラエルパレスチナ人に対する虐待の当然の結果である。

帝国シンプの頭の中では、帝国の敵の暴力はいつも、挑発も理由もなく、完全にどこからともなくやってくる。アンサララが紅海で船を攻撃し始めたのは、彼らが航行の自由を憎む海賊だからだ。ハマスイスラエルを攻撃したのは、彼らが邪悪でユダヤ人を憎んでいるからだ。プーチンウクライナを侵略したのは、彼が邪悪で民主主義を憎んでいるからだ。大の大人が帝国の敵を描くのは、子ども向けアニメ番組『キャプテン・プラネット』が悪役を描くのと同じで、環境を害する以外の理由もなく、海に有毒廃棄物を投棄しようとしているのだと邪悪に笑うのだ。

正直なところ、反ユダヤ主義者と呼ばれることに慣れたことはない。世界がかつて見たこともないような強大な帝国に支えられたおぞましい集団残虐行為に対する私の批判に対して、ホロコーストを生んだのと同じ偏見を抱いていると非難する人がいることに、私は衝撃を受け続けている。大の大人が公衆の面前で、少しも恥じることなくそのような振る舞いをするのを目の当たりにして、私は一貫してショックを受けている。

ある人から、西側帝国が地球上で最も殺人的で専制的な権力構造であり、私たちはこのことについてずっと嘘をつかれてきたということを知ったときに生じる不安に対処するためのアドバイスはないかと尋ねられた。

不快な真実を発見したときに湧き上がる辛い感情は、対処すべき問題ではなく、感じるべき感情なのだ。悲しみ、苦悩、怒り、羞恥心、恐怖など、それが何であれ、愛する子供に自分の感情や心配事を語らせるのと同じように、あなたに必要なことをすべて語らせるのだ。あなたはその子を突き放したり、問題のように扱ったりせず、最後まで話を聞き、抱きしめてあげ、あなたがその子を大切に思っていること、その子の安全を守っていることを伝えるだろう。いったん意識的に感情を感じきり、その感情があなたに言いたいことをすべて聞き出したなら、そのエネルギーは消滅する。

不快な真実も、不快な感情も、同じように真正面から、オープンマインドとオープンハートで向き合う必要がある。真実に基づいた人生との関係に移行するということは、世界についての不快な真実、自分自身についての不快な真実、完全な表現を許していなかった不快な感情など、すべてを見たいと思うことを意味する。それは時に痛みを伴い、恐ろしいことでさえあるが、集団としての私たちの種にとっても、個人としての私たち自身にとっても、健康への唯一の道なのだ。