locom2 diary

少数意見こそが真実を伝えている。個性派揃いの海外ブロガーたちの記事を紹介。

プロパガンダとの戦いは生き残りの問題:物語マトリックスの端からのノート⚡️ ケイトリン・ジョンストン

Fighting Propaganda Is A Matter Of Survival: Notes From The Edge Of The Narrative Matrix

ケイトリン・ジョンストン著:25/07/2023

Image from Gyazo

資本主義は、私たちを環境崩壊の瀬戸際に立たせた。アメリカの帝国建設は、私たちを多方面にわたる核戦争の瀬戸際に追いやった。しかし、主流メディアの報道を聞いていると、これらのシステムはどちらもうまく機能しており、それを変えようとするのは狂人だけである。 私たちの支配的な現状維持システムは機能していないのだ。何事も失敗するのと同じくらい見事に失敗し、今や私たち全員に存亡の危機を突きつけている。しかし、この根底にある真実は隠されている。 プロパガンダと戦い、私たちが情報源として頼りにするよう訓練されてきたものが、私たちの世界について真実を語っているという幻想を打ち砕くことは、今や生死にかかわる問題になっている。嘘と闘うことで、私たちは真の変革を推し進めることができるのだ。

投票はリベラル派にとって「思いと祈り」である。

アメリカのリベラル派が信じている最も愚かなことの一つは、緑の党の候補者が大統領選から脱落したら、彼らに投票したはずの反戦社会主義者たちは、「しまった、それならあの温厚な資本主義者の民主党に投票した方がよさそうだ」と思うだろうということだ。 民主党が自分たちを「左翼」だと信じていることと関係があるのだろうか?だから、左翼的な綱領を掲げている候補者を見て、「あれが我々の綱領だ!あいつらは俺たちの票を盗んでいるんだ!" 実際には、彼らは本物の左翼が嫌う隠れ右翼の集団に過ぎないのに。

アメリカを中心とする権力構造を帝国と呼ぶと怒る人がいるが、帝国という言葉は実は控えめな表現だ。世界がかつて見たこともないような、惑星的な覇権国家なのだ。願わくば、世界は二度とこのようなものを見ることはないだろう。

ジョン・ミアシャイマーのような外交政策リアリストは、西側の行動がウクライナ侵攻を引き起こすと正しく予測した。この理解が重要だ。

米国が、ロシアと中国、つまり第一と第二のライバル国からの軍事的脅威を蓄積してきたことを理解せずして、2020年代の主要な紛争を理解することはできない。前回、大国が国境付近でアメリカに対する脅威を仕掛けたとき、アメリカは非常に積極的に対応し、世界を終わらせるところだった。ロシアと中国に対し、自国では決して容認しないような国境での活動を受け入れるよう要求している事実は、米国が侵略者であることを証明している。

米帝国は意図的にこの戦争を挑発し、開戦後何度も和平交渉を積極的に妨害した。西側の高官たちは、ウクライナが勝てるとは思っていないと匿名で繰り返し報道陣に語っている。また、帝国はこの戦争から様々な形で直接利益を得ている。

自分がどうあるべきかよりも、自分がどうあるべきかの方がはるかに重要だ。 あなたが純粋な神秘でできた驚くほど美しい世界を歩き回れるという事実は、個人的な成功がどのようなものかというあなたの考えに沿って生きているかどうかといった、あなたの人生に関する詳細よりもはるかに重要だ。 あなたが計り知れないほど巨大で複雑な宇宙の中に生まれ、その宇宙について知覚し、考え、芸術を生み出すことができるという事実は、自分が十分かどうか、正しくやっているかどうか、期待に応えているかどうかといった個人的な物語よりも、はるかに重要なことなのだ。 あなたの意識の場が景色や音や思考や感情を生み出すという事実は、あなたが人生の目標を達成しているかどうかや、両親の承認を得ているかどうかよりも、はるかに重要なことなのだ。

私は "はるかに重要なこと "と言ったが、それだけでは十分ではない。なぜなら、あなたの人生の細部に関するほんの小さな些細なことは、私たちが参加できるこの宇宙の雷鳴のような威厳に比べれば、とても微々たるものだからだ。 私がこのように言うのは、あなたが人生で経験する現実的な葛藤を最小化するためではなく、それらが起きているはるかに大きな文脈に注意を喚起するためである。あなたの人生の細部で起こっていることが何であれ、あなたが生まれてきた経験や、そのためにあなたがここにいるという事実の意義という宇宙規模の大爆発に比べれば、ちっぽけなものなのだ。 もしあなたが、自分が適切かどうか、価値があるかどうか、人生を正しく歩んでいるかどうかということに執着して人生を過ごし、その代わりに、あなたが起きている間中、無限の美のサイクロンの中にいることに注意を向け、感謝するのだとしたら、本当に残念なことだ。